平成14年(2002年)

sawacelloの演奏会および練習日誌、
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岐阜大学管弦楽団第36回定期演奏会を聴いてきました。 大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 12月22日に久しぶりに岐阜大学オケの演奏会を聴いてきました。メインは、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」でした。来年のひこね第九オケのサマーコンサートのメインが同じく「悲愴」なので興味深く聴かせていただきました。
 サブのベートーヴェンの序曲「コリオラン」、シベリウスの交響詩「フィンランディア」に比べて、メインの「悲愴」はさすがに力が入っていて、聴き応えがありました。「悲愴」は、特に1楽章の前半を聴かせるのが難しいですが、よく頑張っていました。ひこね第九オケはビオラが弱いので、1楽章の冒頭は今からサマになるか心配です。2楽章のチェロの有名なメロディは、OBオケでも活躍した宮嶋君や棚橋さんたちががんばって弾いていました。けっこうサマになっていました。3楽章と4楽章は、アタッカで続いてすぐに入りましたが、それでもやっぱり拍手をする人が1〜2名いました。あそこで拍手をやめさせるのは実に難しいですね。アンコールで4楽章をもう一度しました。アンコールの4楽章は、みんなリラックスしてのびのびと演奏していてよかったです。
 今村能先生の指揮ぶりは、今風というか、テンポが全体に速くあっさりとしていました。特に「悲愴」の4楽章の最後もテンポがゆるまずにそのまま進んでいき、もっと瀕死のチェーンストック呼吸という感じが欲しくて、私一人で欲求不満になっていました。やっぱり私は、たっぷりと歌い込むロマンチックなチャイコフスキーが良いです。シベリウスのフィンランディアも前半はもっとどろどろとしたフィンランドの人のつらい思いを音にこめ、中間部のメロディももっと歌い込みたいです。自分も時代遅れなのかな?あのテンポのアイデアにはあまり素直に従えそうもないです。

2002年12月23日 15時50分00秒


第5回ひこね第九の演奏会が終わりました。 大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 第5回ひこね第九演奏会が終わりました。小田野宏之先生の指揮は、安心感があり、大変充実したとてもよい演奏会になったと思います。ひこね第九合唱団もとても上手でした。でも独唱者でソプラノは残念でした。あらためて田島茂代さんの存在の大きさを知った演奏会でした。
 ひこね第九オケも5回目の第九というだけあって、積み重なっているところは確実に積み重なって確実にレベルアップしていると思います。特に弦楽器、打楽器は、とても良かったと思います。打楽器が上手だと全体にしまって聞こえますね。木管楽器は、全パート第九がはじめてというメンバーが演奏しました。10月の小田野先生の最初の練習の頃には、これはどうなるかと心配しましたが、練習のたびに着実に成長して、本番はよく健闘していたと思います。特にオーボエのトップを吹いたY君は、一生懸命さが周りにまで伝わってとても好感を持ちました。演奏会の日には沢山の友人を呼んで演奏会を聴いてもらったようです。前日は私の家に泊まっていきました。これがアマチュアの演奏会の魅力ですね。
 文化プラザの事務局も5回目となって緊張感が無くなって、事務的で気配りがちょっと足りなかったと思います。これからは事務局に任せっきりにせず、演奏会前にみんなで演奏会全体を見渡して、十分に打ち合わせして、気配りするスタッフをちゃんと配置して行かなくてはいけないと思いました。

2002年12月16日 23時45分00秒


大垣市室内管弦楽団の演奏会が終わりました。 大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 大垣オケの演奏会が終わりました。北原幸男先生は、今まで共演した指揮者とはちょっと違ったタイプでした。
 指揮棒をもたずに柔らかい手の動きと抽象的な音楽のニュアンスをおっしゃるだけで、どんどん仕上がっていくという魔法を見ているようでした。以前マーラーの交響曲第5番を演奏したときには、やったぞというだけの体育会系の自己満足の世界でしたが、今回は本気で誠実にマーラーの音楽に正面から取り組んで、すごい緊張感の中、マーラーの独特の世界につつまれたというような不思議な体験をしました。 モーツァルトのハフナー交響曲もかなりレベルの高い演奏になりました。これも北原マジックによって、もっと音楽をしようと音楽を引き出され、表情が豊かになっていきました。不思議な魅力のある指揮者ですね。
 
北原先生が打ち上げが始まる前の「しらふ」の時、「これだけの演奏はプロでもなかなかできない。通常、日本のプロオケ振っていても、終わって、ほとんど何も残らないことが多いですが・・。」とおっしゃっていたそうです。
 普段、マーラーでも客演であれば1回の練習、ゲネ本で本番をしなければいけないことが多い北原先生にとっても、今回の仕事はとりわけ心に残るものになったようです。指揮者とメンバーが同体となった時の音楽は何と素晴らしいものでしょうか。宇野巧芳氏がよくクナッパーツブッシュの音楽を「いのちを賭けた遊び」という表現をしておりますが、今回の演奏会で何となく分かるような気がします。

2002年12月3日 11時50分00秒


滋賀大学オケの定期演奏会に出演してきました大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 11月24日午後2時から滋賀大学オーケストラの第19回定期演奏会に出演してきました。プログラムは、フィンランディア、ラフマニノフのピアノ協奏曲、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」でした。
 滋賀大オケへのエキストラは、第5回定期から本番が重なった1回をのぞいて連続出演中で、おそらく14回目かな?
 ラフマニノフのピアノ協奏曲は、ピアノあわせが大変でしたが、本番はとてもロマンチックに演奏できました。ピアニストがアンコールで「くまんばちの飛行」の超絶技巧の小品を演奏されたのは、すごかったですね。ちょっと得した気分でした。
 運命の全楽章演奏はおそらく8回目ぐらいですが、運命は、何回やっても、やっぱり名曲ですね。リハーサルで手を抜こうと思っても、ベートーヴェンさんに叱咤激励され、つい一生懸命弾かされてしまいます。
 1ヶ月ほど前の練習にでたときは、今回はちょっと大丈夫かなと心配していましたが、本番に向けてみるみるうまくなって、本番はかなり質の高い演奏になりました。さすが学生のがんばりですね。今日の演奏会にかけているぞという学生オケの雰囲気が大好きです。私も一緒に演奏させていただいて20才若返り、演奏中は学生気分でした。

2002年11月25日 11時50分00秒


ひこね第九オケ 小田野先生の練習がありました大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 11月16日小田野先生の2回目の練習がありました。先生には、よりつっこんだ音楽作りをしていただき、どんどんレベルアップしていくの感じられ、とても充実した練習になりました。
 次は小田野先生からのメッセージです。
 ひこね第九オケは、良い所はとっても良いのですが、うまくいかない所はかなり下手で、そのギャップの大きさが残念、というのが正直な感想です。次回の練習も集中度を上げ充実したものにしたいと思っています。エンジンのかかりが遅くならないよう、各自ウォーミングアップをしっかりとしておいてください。
 たしかに11月16日は、小田野先生の練習が始まっても、しばらくは調子が出ず。なかなかテンションが上がりませんでしたね。せっかくの小田野先生の練習なのに、練習が始まってからウオーミングアップしているようでは貴重な練習時間がもったいないです。次回の練習の12月1日は午後1時から午後3時まで第1楽屋から第5楽屋まで使用できます。前回までの先生からの課題で、うまくいかなかったところは、全部解決しておいて、しっかりと各自ウォーミングアップしておいて、気合いを入れて練習に望みましょう。

2002年11月25日 11時25分00秒


ひこね第九オケ 今西先生の練習がありました大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 10月27日夜と11月3日の午後・夜と今西正和先生の練習がありました。今西先生は、トロンボーンで京都産業大が出身ですが、どうしても指揮がやりたくて、藏野先生の紹介でウクライナのキエフに留学して指揮の勉強をされたそうです。帰国後、劇団四季の指揮のオーディションに合格され、現在、東京で劇団四季のミュージカルの生オケの指揮をしておられるそうです。東京の四季の専用劇場では、ちゃんとオケピットがあり、生のオケでやっているそうです。私は、大阪で劇団四季のライオンキングを見ましたが、その時の演奏は生オケでなく録音でした(ただし、パーカッションだけは、ディズニーの指示で生演奏でしたが・・)。ロングランのライオンキングは、指揮者も5人で交代でやっているそうです。ぜひ、東京に出張したときには、一度生オケで今西先生の指揮される劇団四季のミュージカルを見てみたいものですね。
 今西先生には、第九全楽章と大学祝典序曲、アンコールと盛りだくさんの練習をお願いしましたが、小田野先生の練習風景のビデオみて、しっかり準備してきていただき、とても誠実な練習をしていただきました。大変ありがたかったです。京都の清水寺近くにお住まいで、彦根にも近くですので、また機会があれば、是非ご指導をお願いしたいと思います。

お気に入りのサイト
  今西正和 プロフィール
2002年11月04日 09時50分00秒


ひこね第九の小田野先生の初練習がありました宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 小田野先生の練習は、実に充実していて勉強になって楽しかったですね。さすが、芸大で教鞭をとっておられるだけあって、教え方が本当に上手でしたね。先生の魅力にグイグイと引き込まれました。今から次回の練習が楽しみです。
 ベーレンライター版の比較的新しい解釈がでしたが、過去の2人と比べるとオーソドックスな正統派という感じでした。
 私は、14日のオケの練習の後、小田野先生にひこね第九合唱団の団長の川口さんと合唱指揮者の磨谷先生を紹介して、一緒に食事をしてから、プラザの合唱の練習を見学して、またその後、合唱有志と小田野先生との懇親会(ゆめ風船)にも参加してきました。小田野先生の合唱の練習もとってもおもしろかったですよ。どんどん歌声が変わっていくのがわかり、合唱のメンバーも楽しそうに充実した練習をしていました。合唱のメンバーの小田野先生の評判もとってもいいみたいです。
 小田野先生からのオケへのコメントですが、弦楽器は、さすがに5年間やってきたという積み上げがみられます。木管楽器が、今回新しいメンバーが多いだけあって課題が多いですね。でも、指示をするとどんどんよくなっているので、心配はしていません。本番までにはちゃんといけると思います。次回の練習を楽しみにしています。 とのことでした。

2002年10月15日 11時30分00秒


マーラーについて宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 12月1日に大垣市室内管弦楽団で、マーラーの交響曲第4番を演奏します。マーラーは、今まであまり演奏の機会がなく、交響曲第1番「巨人」、交響曲第5番についで、3曲目です。
 4番は、簡潔に書かれていて、マーラーの絶望的な暗さがなく、じつに明るく楽しい曲です。マーラーの弟子のひとりであった偉大な指揮者ブルーノワルターは、この曲について「謙虚な敬愛の気持ちと天上の愛の気持ちが天上の愛を夢みる牧歌である。」といっています。
 私は、普段マーラーはあまり聴いていなかったので、曲が決まるとてCDとスコアを買って、がんばって曲を聴くのですが、いつもすぐに寝てしまい、なかなかスコアを追い続けることができません。とにかく私にとってマーラーを聴く作業は、とても忍耐のいる作業で、いつの間にか、次の楽章に進んでいるというような状況でした。
 しかし、ひとたびチェロを持ってオケの練習を開始するとマーラーの魅力にはまってしまいます。あんなに苦痛だったマーラーの曲がどんどん自分の中に入ってきて、楽しくてしかたがなくなります。いったん入ってしまうと、マーラーの曲が1日中頭から離れなくなり曲目にもすごく愛着を感じるようになるのです。
 私の率直な感想ですが、マーラーは、演奏して曲のおもしろさ、楽しさがわかるような気がします。これは、リハルトシュトラウスに取り組んだときにも同じことを感じました。耳になじみ聞きやすいベートーベン、チャイコフスキー、ブラームス、ドボルザークとは、なんか違うと思います。みなさんはいかがですか?

2002年10月11日 11時15分00秒


県立大学オーケストラの演奏会で弾いてきました。垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 10月5日にひこね市文化プラザエコーホールで、滋賀県立大学オーケストラの第6回定期演奏会に出演してきました。
 曲目は、ベートーヴェンのエグモント序曲とバーバーの弦楽のためのアダージョとベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」でした。私が出演したのは、交響曲第3番「英雄」でした。
 バーバーの弦楽のためのアダージョは、オーケストラの創設時より顧問を務めておられた故中山英一郎先生の追悼の意を込めて第1期生が中心になって演奏されました。聞いた話ですが、中山先生は教授になられて、これからという時に突然お亡くなりになったそうです。オケを立ち上げるためにティンパニや大太鼓の購入に尽力されたそうで、先生のお葬式の時には、オケのメンバーは、大変なショックだったそうです。
 英雄は、とてもよく練習されていて、好感の持てる演奏でした。これだけの演奏ができるのだから、来年からは、グランドホールでもっと多くの人に聞いてもらうことが使命であると思います。がんばれ、県立大学オーケストラ!

2002年10月07日 11時30分00秒


上石津村で白鳥を弾いてきました。大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 9月29日に大垣市民管弦楽団の有志で、岐阜県上石津村の日本昭和音楽村 江口夜詩記念館音楽ホールで動物の謝肉祭を演奏してきました。このホールは、木造の小さな素敵なホールです。
 本格的にサンサーンスの動物の謝肉祭を原曲どおり編成で、全曲演奏するのは初めてでした。 2台のピアノが活躍するチェロパートも曲目の1/3ぐらいは、お休みの本当に小さな編成の曲ですが、それを感じさせないとてもウイットに富んだ楽しい曲です。
 白鳥は、名曲であるが故に素人にでも、音程のずれがわかってしまう大変な難曲です。今回の演奏会のために音程が確実にとれる指使いに変えて演奏しました。また、前回の7月に採用したボーイングですが、Oさんにフレーズが、切れるように感じると指摘されたので、オーソドックスなボーイングに変えました。
 本番では、一番有名な白鳥の演奏に会場の注目が集まっていることを感じながらも、おちついてけっこう快心の演奏ができました。オケのメンバーからも「なかなかよかったんじゃない」とのお言葉をいただきました。最後のフィナーレは、曲の最後を飾る素敵な曲です。楽しく演奏がおわり、会場からも暖かい拍手を頂きました。

2002年09月30日 11時45分00秒


動物の謝肉祭大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 大垣市民管弦楽団の有志で、動物の謝肉祭を演奏することになりました。
   日時   平成14年9月29日(日) 14時から
   場所   日本昭和音楽村 江口夜詩記念館音楽ホール(岐阜県上石津村)
         まちに実る秋の音色2002
         無料(要整理券)
   曲目   サンサーンス 動物の謝肉祭

日本昭和音楽村 江口夜詩記念館音楽ホールのホームページは、
次のとおりです。

お気に入りのサイト
  日本昭和音楽村

 今年は、動物の謝肉祭は2回目。また白鳥を弾かなくてはいけないことになってしまいました。気が重いな。忙しくてなかなか練習にいけないので、ゲネ、本番になりそうです。

2002年09月14日 16時15分00秒


ひこね第九オーケストラの練習が始まりました大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 8月18日をスタートにひこね第九オーケストラの練習が始まりました。
彦根市民会館舞台練習場の練習は、今回が初めてでした。思ったより快適でしたが、やはり響きすぎて、管と弦とが聞こえずらく、アンサンブルするのが、難しいです。これなら指揮を見る癖がつきますね。残響を聞くと和音の響きが確認でき、ピッチがあっていないことがよくわかります。この練習場の特性を生かした練習をしていきましょう。
 さて今年の第5回市民手作り第九の本番は、12月14日(土)で、指揮者は小田野宏之先生です。小田野先生とは、京都市民管弦楽団が海外演奏旅行に行っていますし、何回か共演しておられます。京都市民管弦楽団で演奏していたメンバーから小田野先生はとても素敵な先生だとお墨付きをいただいています。また、JOYジュニアのメンバーは、広島の国民音楽祭で既に小田野先生とは共演済みです。10月13日が、小田野先生の初めての練習ですが、今から楽しみです。
 サブは、小田野先生ご推薦のブラームスの大学祝典序曲です。
 第九の出演メンバーは管楽器の方を見ると、木管楽器は、全てトップが入れ替わり、打楽器も全て新しいメンバーです。金管楽器は、トランペットとトロンボーンは、そのままですが、ホルンのトップも代わります。
 5回目なのでみんな曲はよく知っていますが、新しいメンバーが取り組むことによってでフレッシュな演奏になりそうです。小田野先生がお見えになるまでに、しっかり練習しておきましょう。
 弦楽器はさすがに経験者が増えてきていますので、演奏の質をもう一段上げましょう。ビオラも大津のYさんがトップを引き受けてくださったので、パートとして安定感が増しました。本番は今年も加藤完二先生が、ビオラをエキストラで弾いてくださるそうです。

2002年08月26日 11時50分00秒


彦根JOYジュニアコンサート大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 8月25日に彦根JOYジュニアオケコンサートがありました。
 イギリスとアイルランドの音楽を取り上げ、ハリーポッターのハイライトやアイルランドの昔話「ノックグラフトンの昔話」をスライドと朗読の読み聞かせと一緒にやったりした、趣向にとんだものでした。
 プログラムの途中、アイルランドの音楽の紹介で、指導者の澤 純子さんによるフィドルと呼ばれるヴァイオリンとバウロンという太鼓の演奏がありました。何気なく弾いているようですが、アイリッシュらしく弾くのはかなり難しいそうで、その陰には、何度も何度も京都へアイリッシュヴァイオリンのレッスンに通っての努力がありました。頭が下がります。
 アイリッシュバイオリンの演奏というと映画タイタニックの船底の2等船室で主人公とヒロインが、その演奏に合わせて、楽しく踊りまくっていたことを思い出します。1等船室での演奏しながら船と沈んでいったカルテットによるクラッシック演奏とが対照的でしたね。
 メインのブリテンの「シンプルシンプルシンフォニー」ですが、これはかなり質の高い名演奏だったと思います。あいかわらずジュニアの底実力には、脱帽します。
 バイオリンの弦を1本ずつずらして、ビオラのC線を付けての小さなビオラの演奏それなりにビオラの音がしていましたよ。
 
 
  
 スイライドをバックに演奏するJOY。丸いのはバウロン(太鼓)

2002年08月26日 11時50分00秒


JAO新潟大会に参加してきました大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 8月2日から4日まで第30回日本アマチュアオーケストラフェスティバル新潟大会に参加してきました。
 2日午前0時57分彦根発、8時30分新潟着の寝台急行北国で行って来ました。大阪市民管弦楽団のメンバーも同じ電車でしたので、2日の午前中は、いっしょに新潟観光して、昼食をいっしょに食べました。大阪市民にはひこね第九オケのTpのH君もいたので、すぐにうち解けました。今回AオケのチェロのトップをするFさんもいっしょでした。本当にチェロが大好きってかんじがあふれているとてもすてきなお嬢さんです。若いけど大阪市民のチェロのトップで幹部だそうです。
 チェロの参加者は、顔なじみが多く、毎年1回の同窓会のような雰囲気です。
 1日目は、パート別懇親会とチェロパートの2次会、2日目は、レセプションとチェロパートの2次会、3日目は、三重フィルのNさんとS君、新潟交響楽団のHさんとNさんとで別れを惜しんで、おすすめの寿司屋で食事をしました。 
 ホストオケの新潟交響楽団のメンバーは、本当に献身的にお世話してくださいました。おかげさまで、また仲良しの輪が広がりました。本当にありがとうございました。特に新潟の日本酒、おさしみ、お米はおいしかったよ!
 レセプション会場でのチェロアンサンブル、結局練習で3回しか通さなかったけど、どんどん仕上がって本番はばっちり、すごい迫力でしたね。さすが全国からトップメンバーを集めただけありますね。特にカナダナショナルユースのメンバーは、もうプロですね。
 サンサーンスの演奏の方も4日の本番に向けてすごい勢いで仕上がっていきました。本番は、なかなか緊張感のあるよい演奏になったと思います。秋山先生も満足しておられたそうです。 
 帰りは、4日午後10時30分新潟発の朝5時20分彦根着の寝台急行北国、帰りも大阪市民のメンバーといっしょでした。午前0時までお酒を飲みながら懇親を深めました。5日は、さっそく仕事にいきました。私もまだまだタフで馬力はありますね。

レセプション会場でビラロボスのブラジル風バッハを演奏する40人のチェロ軍団(クリックしてね)

 秋山先生の指揮、徳永先生コンマスでサンサーンスの交響曲第3番(クリックしてね)

2002年08月13日 11時50分00秒


可児の第九演奏会 弾いてきました大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 7月27日に岐阜県可児市で田久保先生の指揮の第九を演奏してきました。
 話題の和泉元彌が前座を務めた可児市文化創造センター開館記念の第九演奏会です。
 和泉元彌は、公演後近くの河川敷からヘリコプターで小牧空港へ、そこから小型ジャット機で羽田空港へそこから新宿駒劇場までタクシーで予定より早く到着したそうです。
 可児市民第九交響楽団は、公募時にオーディションなしで団員を募集したため、オーケストラ経験のない、ブラスバンドで以前少し吹いたことがあるというような管楽器奏者が多数集まり、「1からでなく、マイナスからのスタート」
といわれるような、前途多難なスタートだったそうです。
 田久保先生の厳しい指導と、それに答えようとするスタッフを始めオーケストラのメンバーのがんばりによって、27日は、熱くてとても雰囲気のよい演奏会になりました。
 演奏後の合唱の人をはじめとして、オケの出演者、スタッフのメンバーの満足と幸せいっぱいの顔をみると、自分もこのすばらしい演奏会の成功に少し携わることができて、とってもしあわせでした。
 可児市民第九交響楽団のチェロのトップ(女性)とコントラバスのトップ(男性)は、名古屋市民管弦楽団で長年活躍してきたおしどり夫婦で、ひこね第九オケ同様、低弦がとてもまとまっていて充実していました。4楽章の冒頭もばっちりでした。

2002年07月28日 11時00分00秒


可児市文化創造センター 開館記念第九演奏会ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 7月27日に岐阜県可児市で田久保先生の指揮の第九を演奏してきます。やっぱり田久保先生の第九は、エネルギッシュで早いです。田久保先生の指揮の第九は、5回目になります。余語さんもTpのトップで参加しています。
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可児市文化創造センター 開館記念 第九演奏会
   日時    平成14年7月27日(土) 18:00 開演
   場所    可児市文化創造センター Ala 宇宙のホール
          (岐阜県可児市)
   指揮者   田久保裕一
   独唱    山本 みよ子(Sop) 岩田 千里(Alt) 
          神田 豊壽(Ten) 林 剛一(Bar)
   曲目    ベートーヴェン   エグモント序曲
          ベートーヴェン   交響曲第9番「合唱付き」

 昨年6月の結成以来1年をかけて準備したオーケストラ。合唱団は数年前から市の講座を開設し市民の有志の皆さんが取り組んできました。岐阜県可児市はまだまだ自然がたくさん残っている、静かな街です。市民の皆さん待望の素晴らしいホールが完成し、こけら落としに「第九」を披露します。大小ふたつのホールと4つの大きな練習室(ロフト)を備えた素晴らしい施設です。21世紀の可児市の文化の発展を祈り、声高らかに歌い、演奏します。

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 ひこね第九演奏会がモデルとなった可児市文化創造センター開館記念第九演奏会です。大学オケの時の友人数人がスタッフをしており、応援に行くことになりました。(可児市役所の担当者やスタッフが、文化プラザや私の家に研修に来て、私の家にあったひこね第九の段ボール1箱分の資料を持ってかえりました)
 ひこね第九をモデルに可児市民第九交響楽団をつくり、来年1月にニューイヤーコンサート、9月に2回目の第九演奏会を開きたいそうです。まるで弟分のオケのような感じですね。

なお、午前中にダブルブッキングで話題となった、和泉元彌の三番叟がお祝いに同ホールで演じられ、すぐにヘリコプターで東京に帰るそうです。

2002年07月26日 1時10分00秒


佐渡裕の指揮クリニックん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 7月19日(金)の夜 ひこね市文化プラザで佐渡裕の指揮クリニックがありました。クリニックオーケストラは、ひこね第九オーケストラが務めました。平日の夜だったので、全員集まれるか心配しましたが、午後6時頃には、ほぼ全てパートがそろいました。
 6名が受講しましたが、初心者のレベルから、本格的に指揮法を勉強している人まで、いろんなレベルの人がそろっていて、それぞれのレベルにあった指導が聴けて興味深かったです。
 佐渡先生のマネージャーが、私に「クリニックの最後に質問の時間をとりましょうか」、と聞かれたので、「もしそのような時間をとってもらえるなら、佐渡先生にひこね第九オケを振って、オケを指導してほしい。メンバーもそれを楽しみにしている。」とお願いしました。 しかし、「今回は、オケのクリニックではないのでそれは無理」と断られました。でもいちおう先生にオケの希望は伝えておくとのことでした。
 佐渡先生は、クリニックの最後に受講者から「楽団にどのように指導していったらよいか教えてほしい」という質問に答えるかたちで、ひこね第九オケを指揮して、ハンガリアダンス第5番の演奏方法などを指導をしていただけました。短い時間でしたが世界的指揮者の佐渡先生に指揮を振ってもらい、指導もしていただけメンバーもとっても貴重な体験をして、みんな満足そうでした。

2002年07月21日 23時50分00秒


箕面でサンサーンスの白鳥を弾いてきました。宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 7月13日(土)大阪府箕面市のメイプルホールで妹のピアノ教室「Dolce」の演奏会に参加しました。
 まず、演奏会の冒頭にピアノトリオで、「To love you more」を演奏しました。ポピューラー風にアレンジされていて素敵でした。
 それからピアノのお弟子さん約30人の発表の時間です。弦楽器は、普段はほとんど降り番が無いので、出番まで待つ時間はけっこう長かったです。管楽器の人は、いつもこんな感じでしょうか?待つのも大変ですね。
 いよいよ3部は、父兄やゲストの応援を得ての、楽しいアンサンブルです。ここではじめて、チューブベルの「虹のむこうに」を聞きましたが、結婚式でよくやるハンドベルよりもずっと格調高くとてもきれいな音でした。
 次に、井上陽水の「少年時代」の父兄の弾きかたりの伴奏をしました。CDにかっこいい弦の伴奏があるというので、CDから音をとってのギター、ピアノ、シンセサイザー、ヴァイオリン、チェロのによる伴奏です。「編曲した妹が、CDみたいといって喜んでいました」
 最後にサンサーンスの動物の謝肉祭です。子供たちを交え、フルート、クラリネット、チェロ、コントラバス、シンセサイザー3台、ピアノ、パーカッションなどによる演奏です。シンセサイザー3台を使っての演奏は、結構オケの雰囲気がでていました。
「象」のコントラバスは、大阪在住のA君にエキストラをお願いしました。彼も、音楽教室の楽器紹介でこの曲は、弾いたことはあるが、ピアノ伴奏で、ちゃんと弾いたのは、今回が初めてと喜んでいました。1曲のために1日おつきあいいただきありがとうございました。
 さて、チェロの「白鳥」は、教科書にもでてくるとても有名な曲であり、チェリストにとっては、あこがれの曲ですが、これが、またなかなかサマにならない、楽器紹介で頼まれても、できればパスしたい難曲です。特に最初の出だしをたっぷりときれいに正しい音程でスタートすることが難しいです。そこを乗り越えれば、後は何とかなるのですが・・と、悩んでいたら、今回使用した楽譜には、冒頭が歌いやすいように最初の3つの音の2つ目でダウンからアップにかえすように書いてありました。さっそく、試してみれば、これが大正解。本番は、これのおかげで、冒頭から豊かな音量で、たっぷりと弾くことができました。これは、一つのアイデア・発見ですよね。

2002年07月14日 23時45分00秒


ひこね第九オケサマーコンサートが終わりました。大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿
 7月7日(日)に文化プラザで第3回ひこね第九オケサマーコンサートが開催されました。
 エルガーのチェロ協奏曲は、2階席で聞いていた人から、ピアノの音まですごくきれいに聞こえて、とても素敵だったと感想をいただきました。
 ブラームスの交響曲第1番は、完全燃焼のとても気持ちよい演奏になりました。やっぱり、ブラームスの交響曲第1番は、超名曲ですね。
 加藤先生からも次のようなコメントをいただいています。「僕自身も気持ちのいい演奏会でした。こんな気持ちになったのは、シティフィル以外ではじめてです。やはり、ティンパニーを含め打楽器群が頑張ってくれたおかげだと思います。」
 プラザのアンケート結果からも、とても好評だったようです。このような、よい演奏会を積み重ねて、彦根でのひこね第九オケへのリピーターを増やしていけたらと考えています。
 打ち上げでも、とてもおいしいお酒が飲めました。元井先生も2次会の「花笑屋」までおつきあいいただきました。

2002年07月08日 23時45分00秒


6月30日の岐阜新聞ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

亡き恩師にささげる哀愁歌岐阜大OBら 岐阜市で「兼田敏氏音楽葬」 

 吹奏楽の重鎮として活躍し、数々の優れた作品を残して五月十七日に亡くなった作曲家兼田敏氏=当時(66)・岐阜市長良=をしのぶ「音楽葬」が二十九日、岐阜市長良福光の長良川国際会議場で開かれた。「音楽は生きている」−。最後の練習で兼田氏が残したメッセージをかみしめ、全国から集まった教え子たちが“天国の先生”に思い出の曲や遺作をささげた。
 兼田氏は作曲と指導の両面で日本の吹奏楽をリード。岐阜大学などで教べんをとり、「岐阜市民の歌」や数多くの校歌を手がけるなど県の文化向上に貢献した。
 音楽葬は、岐阜大学管弦楽団OBオーケストラなど兼田氏を慕う教え子たちが集まって企画。全国から音楽関係者や教え子ら約六百人が参列し、同OBオーケストラや名古屋ディレクターズバンド、愛知県立芸術大学など約百五十人が演奏者として出演した。
 名古屋ディレクターズバンドは、兼田氏の親友で作曲家の保科洋氏が、生前の約束で兼田氏のために作曲した葬送曲を演奏。保科氏の指揮で、壮大さの中に哀愁を帯びたメロディーを響かせた。また、同OBオーケストラは、兼田氏が最後にタクトを振った曲、ベートーベンの「交響曲第二番」と「岐阜市民の歌」を演奏。譜面がめくれなくなるまで指揮台に立ち続けた“先生”の情熱に応えるような演奏で、会場の涙を誘った。


音楽葬御礼挨拶
音楽葬式次第(プログラム)


故兼田敏氏の功績をたたえ、演奏をささげる
岐阜大学管弦楽団OBオーケストラ

29日午後3時、岐阜市長良福光、長良川国際会議場


《岐阜新聞6月30日付朝刊社会面》

2002年06月30日 18時25分00秒


兼田敏先生の音楽葬に参加しましたん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 6月29日(土)午後2時から長良川国際会議場メインホール「さらさーら」で兼田敏先生の音楽葬が開催されました。
 29日は、19時から自房の荒神祭があってとても忙しかったのですが、なんとか会場に駆けつけて兼田先生の音楽葬に参加し、先生に献花することができました。スタッフの皆さん、いろいろとありがとうございました。
 オーケストラと吹奏楽団が舞台の左右に控えたすばらしい舞台、兼田先生を慕って集まった多くの人たち、そして入口で渡された冊子に書かれた先生の業績やたくさんの作品群、先生との別れをおしむ人々の言葉を聞いて、改めて、本当にすばらしい先生とあんなに身近に親しくご指導いただいていたのだなと幸せをかみしめました。
 黙祷に続いて、兼田先生と親友の保科先生がお互いに葬送の音楽を作ったという保科先生作曲のLamentation to-と兼田先生作曲のBALLADETが、保科先生指揮ナゴヤディレクターバンドによって献奏されました。
 4人の方のお別れの言葉がありました。私も吹奏楽で音楽の楽しみを知った一人ですが、そのころから兼田先生の作品は、身近によく演奏しました。みなさんの話を聞いて、兼田先生の日本の吹奏楽界に残した足跡の大きさに感心しました。
 献花の前に、懐かしい写真や若々しい先生の指導の様子が流れ、やがて先生の映像が消え、カーテンが引かれて真っ暗になった場内で流れた4月21日の兼田先生の最後の指揮台での言葉、そのときの場面が目の前にしっかりと現れ、涙があふれて止まりませんでした。OBオケでは、結局本番を先生に振っていただけませんでしたが、あの最後のレッスンに居合わせることができて本当に幸せでした。
 私が今音楽を続けているのも、兼田先生からいただいた多くの感動のプレゼントによるものが多いと思います。私も若い人たちに音楽の感動をプレゼントできる生き方をしていきたいと思います。

2002年06月30日 9時45分00秒


6月28日の中日新聞ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

作曲家・兼田敏さんの「音楽葬」あす長良川国際会議場で

 吹奏楽などの作曲家として知られ、先月十七日に亡くなった元岐阜大教授の兼田敏(かねだ・びん)さん=当時(66)、岐阜市長良=をしのぶ「音楽葬」が二十九日午後二時から、同市長良福光の長良川国際会議場メインホール「さらさーら」で開かれる。岐阜大OBオーケストラなどが、感謝と追悼の演奏をささげる。兼田さんは旧満州生まれ京都市の中学時代に吹奏楽と出会い、東京芸大音楽部作曲科在籍中、第二十六回毎日音楽コンクールの作曲・管弦楽部門で優勝するなどし、
楽壇に華々しくデビューした。
 その後、吹奏楽を中心に管弦楽、室内楽、ピアノの各分野で作品を発表し続け、吹奏楽団などの指導者としても活躍。岐阜大教育学部音楽科、同大大学院教育学研究科などで音楽を教え、県内の校歌も数多く作曲した。
 「音楽は、生きている」−。岐阜大OBオーケストラでホルンを担当する中村仁さん(39)=同市三田洞東=は今、兼田さんの最後のメッセージをかみしめている。
 先月十二日の同オーケストラの演奏会は、兼田さんが指揮台に立つはずだった。昨年十一月、すでに病状は悪化していた。「やりたい気持ちはあるが、体が持つかな…」と不安をのぞかせていたが、「命ある限り、おれはやる」と誓っていた。
 年明けから始まった月一回の練習。兼田さんは、みるみる弱っていた。四月下旬、団員に手を取られ、指揮台に上った。指揮用スコアも、一人ではめくれなかった。
 「先生にエネルギーを与える演奏をしよう」と団員は誓った。ベートーベンの交響曲第二番の練習だった。第一楽章が終わると、兼田さんは「アレグロのテーマの十六分音符は、“生きる”ということを言っているんだ。おれは死を目の前にして、やっと分かった」と涙を流した。
 第二楽章を終え、練習は終わった。これが最後の練習になった。「ゆったりしたテンポで、何かが天上から降りてくるような、ぞっとするような美しい音楽だった」と中村さんは振り返る。
 音楽葬は、だれでも入場できる。無料。岐阜大OBオーケストラは、ベートーベンの交響曲第二番第二楽章と、兼田さんが作曲した「岐阜市民の歌」を演奏する予定。

2002年06月30日 9時45分00秒


23日のひこね第九オケの練習ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 6月23日のひこね第九オケの練習は、威風堂々、チェロコン、アンコール、ブラームスの3、2楽章を練習しました。
 エルガーのチェロコンは、元井先生がソロあわせに見えました。最初全楽章続けて通してから、1楽章ずつ丁寧に直していきました。元井先生からも曲想についての、細かい要求があり、予定していた時間を超えての熱心な練習になりました。
 元井先生の格調高い上品な演奏に合わせて、下品にならないよう、先生が自由に思い通りに演奏できるように、しっかりとソロを聴いて、ソロの音が浮き立つように音量に気をつけて、丁寧な演奏を心がけましょう。
 アンコールのハンガリア舞曲第5番は、7月19日の佐渡裕の指揮クリニックの課題曲になっています。佐渡先生にひこね第九オケの音を聞いてもらうために8時過ぎから録音しました。
 加藤先生のハンガリアは冒頭からぶっ飛びのテンポですが、指揮クリニックに臨む6人の指揮者は、どのようなテンポ設定か?佐渡先生がどのような指導をされるのか、今から楽しみですね。
 ブラームスは、さすがに2週間前ということで、弦のメンバーもよく練習してきていて、いい音になってきました。
 ところで、ひこね第九から参加してくれるパーカッションの強力なメンバーが3名見学に来てくれていました。パーカッションパートが急に充実してきてうれしいですね。 

 

2002年06月24日 20時15分00秒


16日のひこね第九オケの練習ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 6月16日にひこね第九オケの練習がありました。ブラームスの交響曲を1楽章から全楽章通してから、4楽章、2楽章、1楽章、3楽章と直していきました。弾きこんでいくうちに、どんどんよくなって、いい雰囲気になってきました。
 でも、これからというところで、時間がなくなってしまいました。
 来週からは、いよいよ通しの練習になってきます。がんばって、個人練習をしっかりしておいて、仕上げにかかりましょう。

2002年06月18日 23時15分00秒


ひこね第九オケのパート練習ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 6月9日本日午後1時30分から4時45分までなかよしホールでチェロのパート練習をしました。
 Kaさん、Taさん、Kaさん、Ko君、Yaさん、Miちゃんと私の合計7名集まり、ブラームスの交響曲第1番を1楽章から順番に練習していきました。予想していたよりみんなよく弾いていたので、びっくりしました。ブラームスらしい粘っこい重い弾き方などを確認しました。それにしてもブラームスは、正確な音程取りが大変ですね。

2002年06月09日 19時57分00秒


大垣市室内管弦楽団の定期ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 6月2日に大垣市室内管弦楽団の定期演奏会が終わりました。オール モーツアルトプログラムでした。さすが、モーツアルトをお得意とする大垣市室内管弦楽団!弦楽器がすごくレベルが高く、質がそろっていて、会心のすばらしい演奏になりました。岩村力先生は、最初から最後までずっと指揮棒を持たれませんでしたが、とても見やすく、好感の持てる丁寧な指揮でした。
 全曲、繰り返しは、すべて繰り返ししました。いつも演奏直後にブラボーと叫んでくれるブラボーおじさんがいるのですが、まさか、交響曲第39番の4楽章を繰り返すとは思っていなかったらしく、曲の途中で、ブラボーと叫んでしまいました。さすがのブラボーおじさんも、これには、いたたまれなくなったらしく、曲が終わるまでに会場を後にしてしまったとのことです。会心の演奏のあとにブラボーが聞こえるのは、実に気持ちがいいものですが、無粋なブラボーは、場合によっては、会場の雰囲気をこわす原因にもなります。演奏が終わった瞬間の至福の間も味わって大切にしてもらいたいと思います。
 アンコールのアベベルムコルムスは、すごく美しく、荘厳で、宗教的な祈りが会場内を包み込むような不思議な後味の演奏になりました。

2002年06月03日 12時15分00秒


兼田先生の音楽葬ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿

 兼田 敏 先生の本葬にあたります「音楽葬」の日程と場所が決定いたしました。
 日時 6月29日(土) 午後2時より
 場所 長良川国際会議場 メインホール「さら、さーら」
 この音楽葬は、作曲家で兼田先生と親交の深かった保科 洋先生が実行委員長、県芸OBの長尾氏が事務局長を務められます。
 この日は私が住職を務める長光寺の三宝荒神の縁日で荒神祭が営まれるので、残念ながら参加できそうにありません。

2002年05月25日 11時15分00秒


兼田先生の告別式、その2ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿
朝田先生から告別の様子をお知らせいただきました。

 金曜日から三日間いろいろと兼田家の手伝いをしました。
 ところで、家族の意志もあり、密葬で行われると言うことで、12日に向けて演奏、裏方、当日の手伝い、などなど思いをただ一点に集中していろいろと取り組んできたOBのメンバーとしては、お別れができないと言う無念の思いを秘めていることとと思います。
 4月の練習をひとつのピークとして、5月12に日の演奏会はほんとに良い演奏会になったと思います。会場がひとつになったと実感できる、良い演奏会でした。その思いを持ってみなさんお別れをされたかったと思います。
 会に際し、種々あった中で、三人の方が先生をしのんで、お別れを述べられました。同級生中川良平氏(県芸教授、ファゴット)、同級生保科洋(兵庫教育大作曲家)、お弟子お初さん(失礼、本名忘れた)、のBGMとして、12日のベートーヴェンの
二楽章を流しました。
 12日に向け、ひとつになったみなさんの思いは、先生に伝わったと思います。音楽葬は7月中旬頃になるかと思われます。
 先生は、とても優しい顔で、笑顔のような安らかな面もちでした。全く苦しまずに、息を引き取られたそうです。

2002年05月22日 01時00分30秒


兼田先生の告別式ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿
 5月19日、ご親族、ごく親しい身内の方々のご参列をいただき無宗教による兼田敏先生お別れ会が岐阜市斎苑にて執り行われました。
 密葬でやられるということでしたので、参列は控えていましたが、トランペットのY君が、参列してきて、様子を聞かせてくれました。
 親族のほかに親しい友人たちが、30人ほど参列していたそうです。無宗教の告別式で、献花をして、親しい友人たちが先生にお別れの言葉を述べ、息子さんたちが挨拶をされたそうです。
 近日中、音楽葬が、予定されているそうですが、都合がつけば是非参加したいです。
2002年05月20日 01時59分29秒


大好きな兼田先生が逝去されました。大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿
兼田先生激励掲示板に掲載されました兼田先生のご長男、兼田剛氏からのメッセージです。
先生がお亡くなりになって、とても寂しいです。

 今朝息を引き取りました by 兼田剛 2002年05月17日(金) 19時38分 父、兼田敏は本当に多くの方に応援をいただき、今まで癌と闘って参りましたが、本日5月17日午前7時半に眠るように息を引き取りました。これまでのみなさまのご支援に心から感謝いたします。
 なお、通夜、告別式につきましては近親者のみの密葬とさせていただきます。日を改めて音楽葬を行うこととなりました。
みなさまと出会い、幸せな人生だったと思っております。ありがとうございました。



       
  兼田先生と奥様の写真です

2002年05月18日 08時59分30秒


闘病の恩師に送るエール
岐阜大学管弦楽団OBオーケストラ演奏会
宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿
《岐阜新聞5月13日付朝刊県内版》
 岐阜大学管弦楽団OBオーケストラの第2回演奏会(岐阜新聞・岐阜放送後援)が12日、羽島市竹鼻町丸の内の市文化センターで開かれ、OBら約80人が演奏を通して病気療養中の恩師にエールを送った。
 OBオーケストラは1999(平成11)年、同楽団の第30回記念演奏会への出演と、指導に情熱を注いだ恩師兼田敏さんの退官を記念し、結成された。
 演奏会では第1回同様、兼田さんにタクトを振ってもらう予定だったが、病気の回復が思わしくなく、急きょ、兼田さんの友人の玉城博さんが指揮を執ることになり、演奏会は「恩師を元気付けたい」という思いも込められた。
 OBらは遠くは千葉県、兵庫県から月1回集まり、熱のこもった練習を重ねてきた。演奏曲は、ロッシーニの「どろぼうかささぎ」序曲、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」、ベートーベンの「交響曲第2番ニ長調作品36」の三曲。いずれも兼田さんが好きな曲ばかりで、この日、OBらは学生時代に兼田さんから学んだ力を発揮し、情感たっぷりに迫力ある演奏を披露した。ステージの模様はテープに収められ、後日、兼田さんに届けられる。

2002年05月13日 20時59分29秒


岐阜大学OBオケの演奏会ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿
 5月12日は岐阜大学OBオケの第2回演奏会が、岐阜羽島のスカイホールでありました。約800人のお客さんがお見えになりました。
 兼田先生は結局、癌のため体調を崩されて、自宅で療養されることとなり、指揮は愛弟子の玉城先生に振っていただきました。
 玉城先生は、若い頃の兼田敏になりきって、すごく熱心に我々を導き、人の心を揺さぶる熱い演奏を引き出していただきました。
 ラプソディインブルーのピアノソロをお願いした渡部真理先生は、素晴らしい演奏の後、アンコールで兼田先生のピアノ小品を演奏していただきました。とてもしんみりと心に響く曲で、感動で心がうるうるしました。
 メインの交響曲第2番は、本当に良い演奏ができました。アンコールの前に僭越ながら、私から観客の皆様に兼田先生のとの練習の経過、玉城先生に指揮をしていただくことになった経緯をお話しして、アンダーソンの「春の訪れ」を心を込めて演奏しました。あちこちからすすり泣く声が聞こえました。
 私の妻と娘、息子も演奏会を聴きに来ていました。娘は、ラプソディのピアノがすごかった。アンコールがとてもよかったと感想をいってくれました。
 演奏会終了後、ホールのレストランで、OB会の第2回同窓会が開催されました。兼田先生が、お見えにならなかったのは、とても残念でしたが、懐かしい顔をがたくさん集まり、兼田先生との思い出などを熱く語りながら、とてもすてきな時間を
過ごすことができました。
 朝田先生をはじめとして、須原君、成瀬君、桜屋敷くん他スタッフの皆さん本当にありがとうございました。

2002年05月13日 01時59分29秒


5月3日の岐大OBオケの練習ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿
 5月3日は岐阜大学OBオケの練習がありました。兼田先生は今日の練習は、12日の本番に向けて体力温存のためお休みでした。兼田先生は、前回の練習後体調を崩されて、ほとんど寝たきり状態だそうです。もう歩くこともできなくて、指揮は、車椅子でやられることになりそうです。もう抗ガン剤に耐える体力もないということだそうで、12日の本番に向けて医療スタッフも最善を尽くしていただけるとのことです。
 このような状態になってしまったので、まず先生の意志、そしてご家族のご意向を第1に最終判断をしなくてはいけません。3曲全部演奏することは、とても難しいということなので、先生の体調と気力が良ければラプソディ・イン・ブルー1曲を車椅子で指揮していただこうということになりました。
 従って、本日の練習でのラプソディは、どんな状況にになっても十分演奏できるようアンサンブルの確認を中心とした練習に
なりました。OBオケのメンバーは、選りすぐりのメンバーが集まっているだけあって、アンサンブルもばっちりで演奏していてもとても楽しいです。
 兼田先生との最後の演奏会が実現すること、そして先生に当日演奏会場へ来ていただき、いっしょに演奏会を迎えることができるよう祈念しています。
 玉城先生、心温まる素晴らしい指導、本当にありがとうございます。
 朝田先生、成瀬君、須原君他スタッフの皆さん本当にお世話になります。
 きっと良い演奏会になると思います。みなさん演奏会を聴きに来てください。
2002年05月03日 23時30分29秒


大垣市室内管弦楽団の合宿ん宿大垣市室内管弦楽団の合宿大垣市室内管弦楽団の合宿
 4月28日〜29日は、大垣市室内管弦楽団の合宿が、岐阜県上石津町の昭和音楽村でありました。
 トレーナーに大阪フィルのチェロの田中賢治先生とファゴットの宇治原明先生が見えました。午後から田中先生にモーツアルトの交響曲第39番のパート練習と弦分奏を見ていただきました。モーツアルトらしい音楽づくりについて、いろいろと的確なアドバイスをいただき、指導後は、別人のような演奏になりました。
 モーツアルトは、油断して弾くと、ついつい楽譜にかかれている音符全部を、ちゃんとがんばって弾こうとしすぎて、モーツアルトは似ても似つかないごつごつした演奏になってしまいますね。これからも気をつけたいと思います。
 ところで田中先生は、滋賀県の大津にお住まいとのこと、またひこねでもご指導をお願いしたいですね。
 夜は、岩村力先生がお見えになり、交響曲39番を練習しました。4楽章はとても早くて大変ですが、先生が指揮されると、すごい集中力でどんどん弾かされていくという感じでした。すごい勢いのあるモーツアルトになりそうです。
 夜は、例年どおり、アンサンブル用のコテージで、お酒を飲みながら、夜中の3時までアンサンブルマラソンをしました。やった曲の一部をご紹介しますと、モーツアルトの弦楽四重奏「狩」、フルート四重奏曲、ハイドン弦楽四重奏「ひばり」、バッハの管弦楽組曲第2番、ヴァイオリン協奏曲第2番、2つのヴァイオリンのための協奏曲、テレマンのヴィオラ協奏曲、レスピーギのリュートのための古代舞曲とアリア第3番などでした。今年は、コンマスの小林さんが体調不良のため泊まられなかったので、例年より曲のレパートリーが少し狭まりました。
2002年04月29日 20時30分29秒


初の元井先生とのソロ合わせ
 4月21日の夜は、ひこね第九練習があり、初の元井先生とのソロあわせがありました。OBオケが終わってすぐ駆けつけましたが、最初少し遅刻してしまいました。
 元井先生のよくとおる絹のような美しい音色は、とてもすばらしく、感激しました。加藤先生の的確な指揮の元、とても充実した練習になりました。
 ソロパートをずっと練習をしてきていたため、ソロの歌うところや、テンポの揺らぎもほぼ予測でき、しっかりついていけました。
 本番は、演奏者としてはもちろん客席でも聴いてみたいという気持ちでいっぱいです。きっと良い演奏会になりますね。一人でも多くの人に聴きに来ていただきましょう。
2002年04月22日 23時40分29秒


21日のOBオケの練習
 4月21日は、朝から岐大OBオケの練習がありました。
 午前中は、ラプソディインブルーでした。兼田先生が、合奏室に入ってこられた姿を見て正直びっくりしました。すごく痩せられて、顔色も悪く、両脇を朝田先生と須原医師に支えられてようやく指揮のイスに着かれるような体調でした。
 須原医師によると新しい抗ガン剤は、よく効いているそうですが、副作用が強くて食欲もなくなって、軽い脱水症状を起こしているとのことで、薬をやめたら、すぐに食欲も戻るけど、癌も元気を盛り返すので、やめられないとのことでした。
 先生は、本当にしんどそうで、短時間の練習で、すぐに休憩をとられていました。休憩中に玉城先生から、先生からエネルギーを吸い取るのではなく、エネルギーを注入する演奏をしようと声かけられました。
 昼からは、兼田先生の指揮でベートーヴェンの第2番を練習しました。玉城先生のおっしゃるとおり、先生の指揮にエネルギーを注入するつもりで、オケのメンバーは、必死で先生を引っ張りました。1楽章が終わった段階で、先生は「みんなこんなよい演奏ができるのか」と感慨深げに涙ぐまれたのを見てまたみんなもらい泣きをしていしまいました。先生は、「第1楽章アレグロのテーマの16分音符は、生きるということをいっているんだ。おれは死を目前に迎えてやっとわかった。」としみじみおしゃいました。
 第2楽章は、テンポはゆっくりだったけどなにか鬼気迫る演奏になりました。先生の棒は、以前のような力強さはなく、たどたどしいものでしたが、なんかふしぎな体験をしたような演奏になりました。
 あの体調では、5月12日リハーサル、本番と体力がもつのか心配ですが、奇跡が起こて先生とのすばらしい演奏会ができますよう、祈念しています。
 皆さん、ぜひ演奏会を聞きに来てください。
2002年04月22日 23時31分29秒


エルガーのチェロ協奏曲
 今日は、ひこね第九オケの練習がありました。来週の21日にソリストの元井あづさ先生がお見えになるので、エルガーのチェロ協奏曲の練習が中心でした。
 今まで3回エルガーのチェロ協奏曲を練習しましたが、それまではソロパートを代弾きしていたので、オケ譜の練習をするのは今回が初めてでした。
 ソロの音がない状態で、必死で数えながら演奏しているとメロディラインがわからなくなって、けっこう大変でした。来週は楽しみです。
2002年04月14日 23時31分29秒


阪神絶好調ですね!
 阪神タイガースが、8勝1敗と絶好調ですね。監督がかわると本当に別のチームのようです。オーケストラの指揮者も野球の監督と同じようなことがいえますね。
 そういえば野村監督の時も首位になったことがありました。おそらく夏頃には定位置にいるかもしれませんが、それまでは、毎日のニュースを楽しみたいと思います。
2002年04月10日 00時56分30秒


4月に転勤がありました
 4月の定期異動で、保健所から動物保護管理センターに転勤しました。月に1回日曜出勤があります。演奏会は日曜日にあることが多いので、調整がちょっと大変です。通勤も車で1時間少しかかるので、移動が決まって、軽自動車(Todey)のバッテリー・タイヤ・オイルなどを替えたりして整備しました。
 昨年、動物愛護法が改正になって動物の愛護が全面に出るようになりました。動物愛護団体のボランティア活動も活発になっており、時代の流れをあった仕事ができるようにがんばっていきたいと思います。
2002年04月01日 00時43分56秒


交通事故にあって入院していたチェロが、退院してきました
 約5年前に車の追突事故でトランクに入れておいた大切にしていたチェロが重傷にあってしましました。乗員にはけが人はなかったのが不幸中の幸いでした。相手の自動車保険で弁償してもらうことになりましたが、残念ながらこういう場合は、楽器が修理不能まで壊れてしまわない限り、修理代しか出ません。
 結局、このときは保険料をもとに新しいチェロを買いました。重傷をおったチェロは、その後いったん修理を終えてチェロの弦を張ったところ、2枚の板を張り合わせている裏板の中央からはがれてくるトラブルが発生して、現役復帰できず長い間、楽器屋さんの片隅でおかれることにりました。きっと見た目よりも、ずっと深くダメージを受けていたのですね。
 しかし、私の娘がチェロをやることになり、なんとかこの楽器を現役復帰させてやりたいと念願していたところ、ようやく29日に修理を終えて我が家にかえきました。楽器を弾くと久しぶりに昔の恋人と再会したような感じでとてもうれしかったです。娘もとても豊かな大きな音が出るこの美しいチェロを弾いて、こりゃがんばらなくっちゃとはりきっています。とにかく、めでたし、めでたし。
2002年03月30日 06時56分18秒


フーアマン延子さん夫妻来日
 ひこね第九ベルリン公演で、ベルリンでの現地でのコーディネーターや、第3回ひこね第九演奏会に参加するためにベルリンの合唱団が約30名が、来日した際にも大変お世話になったフーアマン延子さん夫妻が来日し、29日午後2時に彦根市長を表敬訪問されました。
 その夜7時からベルリン公演実行委員会やベルリン合唱団ウエルカム委員会のメンバーの有志が集まって、歓迎のお食事会をしました。
 そのなかで、彦根にきたオラトリオコーラスの来年の春または秋の演奏会に日本(彦根)から合唱団がゲスト出演しないかとの企画が提案されました。来日したメンバーを中心にドイツでのホームステイの受け入れもばっちりだそうです。
 またこの話が実現して、ベルリンと彦根の交流が深まるといいですね。
2002年03月29日 23時34分32秒


モーツアルトの交響曲第25番、第39番
 今日は、大垣市室内管弦楽団の定期の曲モーツアルトの交響曲第25番と第39番を練習しました。
 第25番は、モーツアルトの現存する交響曲48曲中わずか2曲の短調の作品で、のちの「交響曲第40番ト短調」を予感させる名曲です。第1楽章が映画「アマデウス」の冒頭で印象的に使われており、練習していても映画の場面が、つぎつぎと目に浮かんできました。
 第39番は、最後の三大交響曲の第1作と言われるだけあって、第25番がバロックに近い作品というなら、もはやロマン派ともいえる色彩豊かな作品です。第1楽章の冒頭の和音が、ベートーベン交響曲第3番の冒頭と同じであるということを今日、指揮者から教えてもらいました。この曲は、私が大学オケ3年のサマーコンサートで演奏した懐かしい曲です。当時のモーツアルトが大好きだったクラリネットの後輩が、一生懸命になって演奏することになった曲です。
 モーツアルトは、やっぱりいいですね。ちゃんとさらって、丁寧な演奏を心がけたいです。
2002年03月24日 23時27分47秒


バルトークのルーマニア民族舞曲
 3月23日 大垣市春の音楽祭に参加しました。
 グリークのホルベルグ組曲とバルトークのルーマニア民族舞曲を演奏しました。
 グリークは、弦楽合奏としては、聞かせどころがいっぱいあり、気持ちよく演奏できました。
 バルトークは、20年ほど前に弦楽合奏版で演奏したことがありましたが、今回演奏したのは、オーケストラ版でした。
 楽譜は、以前はレンタル譜しかありませんでしたが、今回の楽譜は、1度きりの限定発売版を購入したそうです。
 ルーマニア民族舞曲は、バルトークらしくかっこいい曲ですが、演奏時間が短いのが玉に瑕ですね。アタッカで続けて演奏してあっというまに終わしまったので、お客さんもあっけにとられていたようでした。
2002年03月24日 14時40分44秒


結婚式でのチェロのCDカラオケ演奏
 3月17日に友人の結婚式でチェロを演奏してきました。
 カルテットが、披露宴の間中、生演奏を聴かせるという企画でしたが、チェロ奏者が、都合が悪くなり、急遽披露宴に参加しながらカルテットを弾くことになりました。
 従って演奏の合間に披露宴の食事をするということになり、けっこう大変でしたが、披露宴に参加していた指揮者の田久保裕一先生が、ときどきチェロの演奏を交代してくださって、なんとか食事をする時間がとれ、大いに助かりました。田久保先生のチェロの演奏をしっかり聴いたのは、これが初めてでした。
 2次会のパーティでも、チェロの独奏をしました。最近店で売られている、CDカラオケ伴奏付きのヤマハの楽譜チェロレパートリー「パーティで弾くベスト20」から「星に願いを」と「マイハート・ウィル・ゴーオン」の2曲を弾きました。結構、好評でした。
 よく、結婚式でチェロの演奏を頼まれますが、伴奏者を捜すのが大変です。新婦側の友人にお願いして、披露宴の直前に合わせたりすることが多かったですが、このCDカラオケがあれば、この心配はいりませんね。
 ただし、会場で伴奏がしっかり聞こえないと、少し怖いところがあり、また、少し事前に練習しておかないと、リズムなどが難しいところがありますね。CDの伴奏が、ヘッドホンでしっかり聴けると完璧なのですが・・・
2002年03月24日 14時38分34秒


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